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売上の最高額を達した年、父が入院したこともあり、よく実家にPCを持ち帰り作業をしていました。
ある日、母に言われました。
そんなふうに家にこもって、誰とも交流しない生活でいいの?目も悪くなるし
何気なく発した一言だと思いますが、その言葉が妙に引っかかりました。
考えてみれば、フリーランス翻訳を始めてから約4年。私はほとんど人と会わず、夫以外との人間関係を築かないまま暮らしていました。
外で誰かと話すのは、スーパーの店員ぐらい。子どももいないため、地域とのつながりもなく、隣に住んでいる人の顔すら知りません。
翻訳の仕事は自由でした。時間も場所も縛られず、誰にも管理されず、納品さえすれば何をしてもいい。
一方で、その自由さの中で、私は他人と交流しない人間になっていました。人に合わせることや、我慢することが減り、気づけば自分勝手になっていました。
私の翻訳分野は契約書やビジネス文書も多かったため、面白みのない同じような文書を訳したり、細かい修正作業が続きました。
このまま一人で、誰にも知られず、誰とも関わらず、面白くもない文章を確認する人生でいいのか。フィードバックへの恐怖と共に、そのことが私には重くのしかかりました。
フィードバックが怖くなり、フリーランスとして孤立している自分にも違和感を覚えるようになってから、私は少しずつ翻訳の仕事を断るようになりました。そうすると当然、依頼は減り、やがてほとんど来なくなりました。
ちょうどその頃、AIの台頭が本格的になり、AI翻訳の品質は高く、私より上手いんじゃないかというレベルになっていました。
同じ時期に翻訳者ネットワーク「アメリア」で見つけたウェブ査定やAI査定の仕事は、「フィードバックがない」「精神的に消耗しにくい」という点で魅力的でした。時給も悪くなく、翻訳とは違う形で英語を使える仕事に、これからは全振りしようと考えました。
しかし、現実は甘くありませんでした。ウェブ査定のテストには何度受けても受からず、ようやく別のAI査定の仕事を回してもらえたものの、仕事量は不定期。月に2万〜10万円程度で、まったく仕事がない月もあり、安定とは程遠いものでした。
このままでは生活も気持ちも不安定になる。そう感じて、私は外で働くことを真剣に考え始めました。翻訳コーディネータも含めるとフリーランスも約6年になりました。ほとんど社会との接点がなく、誰とも交流しない生活が続いていたことにも、強い不安を感じていました。
まずは時給の良さを考えて、派遣や英語関連の仕事に応募しましたが、50代という年齢の壁は想像以上に高く、返事すら来ないことも多々ありました。AI査定の仕事も続けたかったので、リモート勤務や短時間勤務を希望していましたが、そういう仕事に応募しても面接にさえ進めませんでした。
そんな中で思いついたのが、市役所のパートでした。「市役所なら技術もそこまで要らないだろう」と軽く考えて応募しましたが、市が直に採用する事務は不採用。
正直、かなりショックでした。その後ハローワークで探し、請負会社経由の市役所パートと、老人ホームの調理パートに応募しました。
その頃AI査定の仕事も不安定で、時間だけが余り、不安ばかりが膨らんでいました。眠れない夜が続き、「この先どうなるんだろう」と、正直うつ状態に近かったと思います。
私はずっとこの6年間一人で仕事をやってきたため、対人関係に向いているとは思えず、長時間勤務や休憩を挟む働き方にも自信がありませんでした。
そこで選んだ市役所パートと調理パートは、休憩なしで短時間、働いたらすぐ帰れる仕事。
結果的に、市役所の短時間パートに採用され、働き始めることになりました。市役所パートに受かったことで、収入以上に「社会とつながっている」という感覚が戻り、気持ちはかなり落ち着きました。
こんな感じで、私はフリーランス翻訳者から、市役所パート+AI査定という形にシフトしていきました。